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【法制史】啓蒙期の法典編纂(三成美保)
関連項目→プロイセン一般ラント法、オーストリア一般民法典、フランス民法典
(執筆:三成美保/掲載:2014.03.19/初出:三成他『法制史入門』1996年、一部加筆修正)
法典編纂
法典編纂という概念は、広義には、①民法や刑法などのある特定の生活領域にかんする包括的法律を意味する。しかし、限定した意味では、それは、ある特定の歴史的状況で生じた法の現象形態をさす。 歴史的類型概念としての法典編纂は、18世紀のヨーロッパ全体で展開された良き立法をめぐる議論の産物であった。啓蒙期法典編纂は、①のほかに、②体系性、③もろもろの原理と法命題の組み合わせ、④裁判官にたいする拘束性、⑤社会状態の改革という目的、という特徴をもっている。過去のユースティーニアーヌス法典には、①はあったが、②以下は欠けていた。近代の法典編纂には、①・②・③・④はみられるが、⑤の要素は薄く、すでに通用している法の総括という性格を有している。
「法典編纂」という語をつくったのは、イギリスの功利主義者ベンタム(Jeremy Bentham:1748-1832)(*)である。かれは、判例法主義を批判し、法典編纂によって法の予測可能性を保障することが肝要だと主張した。イギリスでも、19世紀に法典編纂が試みられたが、実現しなかった。これにたいして、大陸では、自然法思想とむすびついて法典編纂が行われる。
ヴォルフ(Christian Wolff:1679-1754)は、立法の原則をつぎのように述べている。
①立法権は国家の首長にのみ属し、法律は立法者の意思であると同時に、公共の福利を実現するための手段である。
②法律の制定には専門家の助言が必要である。
③法律に不備があるときには慣習法で補うのではなく、法律を改正・補充するべきである。
④法律は完全な法典のかたちで公布されなければならず、法律を周知させることによって法律の効果をあらかじめ知らしめ、法律を遵守させるべきである。
⑤日常的に使用される簡潔な法律とよりくわしい法律の二種類が必要である。
(*)なお、ベンタムは功利主義の立場から、同性愛は誰に対しても害(苦痛)を与えず(「無害」)、当事者間にはむしろ「快楽」をもたらすため合法化するべきであると論じた。また、女性抑圧は社会の偏見であるとも論じた。
編纂された法典
帝国では、すでに17世紀にライプニッツが、帝国法の法典化計画をたてていたが、これは夢におわった。法典編纂は、領邦国家で進められていく。その最初が、バイエルンの諸法典である。選帝侯マクシミリアン3世ヨーゼフ(在位1745-1777)の治下で、クライトマイア(Wigulaus Xaverius Aloysius von Kreittmayr:1705-1790)によって3つの法典が編纂された。刑法典、訴訟法典、民法典である。そののち、プロイセン一般ラント法(1794年)(⇒http://de.wikipedia.org/wiki/Allgemeines_Landrecht_f%C3%BCr_die_Preu%C3%9Fischen_Staaten)、オーストリア一般民法典(1811年)がつづく。両者はともに、啓蒙専制主義の産物であった。また、フランスでは、市民革命をへて、ナポレオンによりコード・シヴィル(1804年)が完成される。
ベンタム
児玉聡「功利主義による寛容の基礎づけ--ベンタムの同性愛寛容論を手がかりにして」倫理学年報52, 135-146, 2003
2004年版 http://plaza.umin.ac.jp/kodama/doctor/doctoral_thesis.pdf#search='%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%A0+%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B'